津田沼

総武線。
関東平野を東西に結ぶJRの各駅停車。
三鷹を始発として途中、新宿、秋葉原を通り
隅田川を越えて両国、船橋、そして津田沼、千葉へと通じる。
特に三鷹から東中野までは延々直線である。
私はついつい想像してしまうのだが、
運転手にとってこれほどつまらない路線は無いだろう。
曲がるところだって新宿の周辺とお茶の水の鉄橋の前後くらいではないか。
昼間などはお客がほとんど乗らないこともある。
お客を運ぶ楽しみさえ奪ってしまう、残酷な路線である。

この黄色い電車に揺られて私は津田沼まで行くのだ。
スーツ姿の最後の仕事。それが津田沼のソフト会社の仕事だった。
開発室のある会社が津田沼にあるのだが、そこから仕事を受けている会社も津田沼だった。
私は孫受けの仕事を受けることになったのだ。
下請けの方の会社はゲームソフトの仕事もしていると聞いていた。
それを話した課長は、おそらく私に対する気休めを言ったのだと思う。
ゲーム作りたい発言はここまで及んでいた。

下請けの方の会社へ始めて挨拶にいったときは社長以外、誰もいなかった気がする。
みんな別のところで仕事をしていてゲームの開発風景など見学できないのだった。
別のマンションの部屋に案内されたときは、作りつけのシャワールームが印象的だった。
後からつけた電話ボックスのようなシャワールームで異様な雰囲気を醸し出していた。
津田沼駅周辺もまだ開発中の感じが残っていて、特に南側は銀行の建物だけが目立っていた。
北側の方にはパルコが建っていたが、
それを過ぎると街道沿いの住宅街が広がっていた。

開発室のあるシーイーシーという会社にいくと
VAXの巨大な筐体がガラス張りの部屋の中にあった。
私たちの使うマシンはこれではなく、
セイコー社のPRO550という聞いたことのない名前のコンピューターだった。
セイコー社といえばセイコーエプソンを思い浮かべるが、それとは別の部門のようだった。
見た目は大柄のパソコンといった感じで、変わったOSを積んでいた。
iRMX86という名前のOSだったろうか。
マルチタスクという複数のプログラムが走るものだった。
専門用語が増えてなんやら難しい話であるが、
マルチタスク=複数の仕事、という呼び方なのだろう。
このころはリアルタイム処理と呼ぶ方が一般的だったようだ。
リアルタイムというのもセンスの感じられないネーミングで、
そのため今日の業界内では死語になっている。
マルチタスクはチャーハンを作りながらラーメンの麺を茹でるようなもので、
同時に美味しくできればいいが、普通はチャーハンを炒めあげたあとに
麺を茹でたほうがいいのではないか。
チャーハン、ラーメンの上に、かに玉まで注文されて腕が3本あるわけでもないし、
忙しければ店員を増やせばいいではないか、といった
感じのしくみである。

つぎ

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