混沌

電脳学園3が発売になったときは喜んで、パソコンソフトの置いてある店頭へ
出向いて並んでいるのを確認した。
完成と同時に店頭デモを頼まれた私は、Oさんから絵コンテ用紙を渡され
デモの絵コンテを描いた。
コンテの描き方は、以前のT社でTさんが描いたのを見ていたので
ササッと描いた。
A先生とOさんのOKをもらった私は一週間くらいでデモを仕上げた。
このデモが店頭に流れるのを見て、ひそかに喜んだ。
今まではイース3のデモを見て感動し、ヴァリス2のデモを見て歓喜していた
のであったが、今度は私自身が作ったデモが流れたので感激も大きかった。

話が前後してしまった。
話の時点ではサイレントメビウスの開発中である。
混沌としている。この頃には、ふしぎの海のナディアのNHK全国放映の
真っ只中である。
それだけ慌ただしかったということだ。
放送時の曜日は忘れてしまったが、その日の7時半になると
みんながテレビの前に集合した。
そして自分たちの会社で手懸けた、あるいは自らの手懸けたアニメーション作品を
リアルタイムの放送で見た。
その時、Oさんの席はテレビの真前になったりしていた。
Aさん達、監督等は別のテレビで見ていた。

混沌はテレビ放映の後に始まったりした。
プロデューサーのMHさんが某放送局からの電話を受けながら机を叩いたり
Aさんがスチールロッカーを蹴飛ばしてへこましたのもこの頃だった。

一方ゲーム、サイレントメビウスの方も今まで以上に人が増えて、
あまりの苛酷さに辞めていく者もいた。
A先生の率いるゲーム部門の初めての大型ゲームであったというのもある。
特にIKさんの仕事の仕方の苛酷さにも目をひいた。
朝来るとIKさんがスチール製の椅子を並べて寝ていた。

サイレントメビウスの、第二弾のデモも作られることになった。
第一弾はIKさんがプログラムを組んだが、次は私が作ることになった。
絵コンテは確かIKさんだったろうか。
こうしてデモは完成し、主人公(プレイヤーを演じる)のデモ用の仮の名前は、
ゲーム部門の段取りを仕切っていたKDさんの手によって
アーサー・ヒル・バーン(朝昼晩)と命名された。

デモも用意できたサイレントメビウスはデバックに向かっていった。

つぎ

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