No.3 ガラスの試験管は冷たい

高円寺はそろそろ夕刻だ。
ダイニングでパンツ一丁の僕は百円カップでウーロン茶。
お父さんがいなければくつろいている光景なのだけれど。
 
「ウーロンは中国のお茶だから、久米宏もOKだぞ」
 
涼子のお父さんは、フレンドリーで僕みたいな人見知りする者にとってはラクだ。
 
「このテーブルは私が買ったんだから傷つけないでよ、
 ほらここ!、無造作に安物カップ置くから擦れちゃってるよ」
 
涼子さんは、なぜこうお父さんを怒るんだろう。
 
「めがねくんも、早く服きなさいよ」
「開けてないダンボールに新しい服があるので、
 向こうで着てきます」
「ああ、めがねくん待て待て、オレはすぐ帰る」
「そうよ、すぐ帰って」
 
お父さんは立ち上がる。
引き際をわきまえる大人の男だ。
 
「めがねくんに渡しておきたいものがある」
 
お父さんは、上着の内ポケットから小型の試験管を取り出す。
 
「試験管ですか?」
「これに、その、アレを入れて欲しい」
「アレ?」
「涼子がいるところでは、言いづらいが」
「なによ!、じゃ、言わないで帰れ」
「涼子さん、お父さんにもっと優しくしないと」
「娘はね、健康であることが最大の親孝行なの!
 疲れてんだから早く片づけて、早く寝かせてよ!」
 
「お父さん、この試験管になにを入れるんですか?」
「ザーメンだ…」
「はあ…」
「ばっかみたい」
 
お父さんは柄にもなく赤面だ。
 
「入れたらキャップを閉めて、冷蔵庫にしまって置くんだ」
「きゃーやめてよ!、汚い!、食べ物と一緒にしないで」
「汚くいない!、生命の源流だ、お前達だってここから
生まれたんだ!、あとで取りに来るから、な、めがねくん」
「はい…」
「頼んだよ、めがねくん。急いでいるんだからね」
 
お父さんは、帰っていった。
テーブルの上には試験管が残されている。
 
「僕の検査でもするんでしょうか?」
「くっだらない、やめなよ、こんなこと、出なかったって言えば済むんだから」
 
試験管はガラス製で冷たい。
 
「調べて、もし、ほんの少ししかなかったら、僕の存在意義はないんでしょうか」
「なければ、やりたい放題じゃない」
 
僕は涼子さんを見た。
涼子さんの胸は服の上からでも僕の手のひらに、あまるくらいの乳房がある。
 
「やりたい放題ですか」
「私はイヤだからね、ちゃんと自分で彼女を捜すのよ」
「僕には、彼女は作れません」
 
涼子さんは、何も言わずダイニングから部屋の方へ入った。
物音だけが聞こえる。
 
僕は禁句を言ったのかなぁ。
 
つづく
もどる