No.27 黒檀色の乗用車
 
エレベータをおりると、陶器のタイルとスモッグの汚れたガラスのロビー。
夜の明るさでは埃も目立たないけれど。
涼しい空気のなかで、僕はポケットに手を入れて涼子さんから貰った千円札を確かめる。
珍しくオートロックの掛かっている玄関。
鍵がポケットに引っ掛かる。
鍵穴に鍵を差し込むと、引っ掛かるような金属音とがたつきを感じさせる。
薄皮の金属の冷たさ。
オートロックを掛けない住人がいるのは、ためだろう。
 
淀んだ空気の世界に出ると、闇の中にピアノのように黒い乗用車が止まっている。
ハイヤーという奴か。
きっと芸能人を待つクルマだ。
作家を待つクルマは東京無線のタクシーだし、
政治家が住むマンションでもないし、
実業家は自分でクルマを運転するもんだ。
 
涼子さんを待ち伏せているのかも。
 
車内は良く見えないし、目を合わせたらどうしようと思うと凝視も出来ない。
いつのまにか早足でセブンイレブンの店内だ。
スーパードライを四本とかっぱえびせんを手にレジスターのわきへ。
黒髪の男と脱色の前髪女が手を繋ぎながらレジを待っている。
バーコードリーダーを手にしているのは、黒いメガネの痩せ顔、青いシャツの男だ。
僕の後ろには紺ズボンの男が幕の内弁当を手に押してくる。
ドライビールの冷たさに手も痺れてきた。
レジのテーブルにドライビールを起き、レジの店員にポケットの千円札を渡すと
破れそうなポリエチレン袋を受け取り、夜空の下へ飛び出した。
乾いたアスファルト道路を駆け足する。
急かされるように走るのは、小学校の運動会の徒競走をしたときが最後だと思っていたが。

マンションの玄関に鼻先を向けるような形で黒塗りカーは停車していた。
微かなエンジン音と青白い蒸気を漂わせて、静かに停止している。
涼子さんと黒檀色の車が関係あるとしても、まだ連れ去られてはいないわけだ。
 
横を通り過ぎたとき黒いガラス窓から睨まれたような気がするのは
僕がMrチルドレンのように悲観論者だからかもしれない。
 
オートロックを開き、エレベーターを7階へやると、
僕は涼子さんの待つ701号室にたどり着いた。
ドアを開けると涼子さんはカーペットに素足で立っている。
安心したように笑顔。
 
「お買い物、ありがとう」
 
涼子さんはセブンイレブンの袋を受け取ります、といった仕草で
手をさしのべる。
僕は晩餐の缶ビール四本の袋を渡すのを待った。
重いかもしれないから。
 
涼子さんは頬を緩ませ、首を傾げるような感じで唇を近づけてくる。
恋人のキス5秒前だよな、これ。
僕は最高の笑顔に応えるように唇を涼子さんの唇に触れる。
小鳥の羽のような口づけ。
顔を離すと涼子さんの目は潤む。
 
「今夜はふたりだけの夜にしようね」
 
身体の中心が微熱を帯びたようになるのを感じた。

つづく
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