No.26 機械の音
 
高層マンションの7階の暗闇を照らすほど東京の夜空は青白い空気を淀ませている。
机の上にある一枚のコピー紙にはフェルトペンで書かれた涼子さん宛へのメモ。
書かれている電話番号は涼子さんの所属している事務所の担当者の番号だろうな。
 
『帰ってきたら大至急連絡お願いします 大友 090―××××△△△△ 』
 
自分の住んでいる家の居間に他人のメモ書きが置いてあるのは、
知らない人間にタンスの引き出しを荒らされたような気分だ。
家の下着を盗まれたことはないけれど。
涼子さんは椅子に座り、懐中電灯を持ったままテーブルに肘をつき動かず、
歴史的な判断を迷って、右手であごを押さえている。
 
「連絡するしか、ないよね………」
 
僕は、その悩みにどう応えたらいいのか言葉を探しながら
テーブルのメモ書きのセロテープを少しずつ剥がし始める。
 
「この大友さんって、どんな人なんですか?」
 
沈黙。
こういうときって、胃袋が縮まるくらいお腹が痛くなる。
涼子さんの目を見るが、暗くてよく見えないな。
涼子さんの手が僕の手の甲に当たる。
涼子さんもセロテープ剥がし始める。
 
「こんなにべっとり貼らなくてもいいのにね、電柱のチラシじゃないってえの」
 
涼子さんは剥がした紙を手に取ると、壁のスイッチを弾いた。
明かりがつくと、そこはいつもの居間。
 
「ビールでも飲んじゃおうか」
 
シャツの上に張り出している胸の先端がちょっと気になるけれど、
隠すともったいないので言わない。
 
「買ってきて」
 
涼子さんは千円札を僕に渡すとそう言った。
僕は玄関を出るとき居間の方を振り返った。
涼子さんは椅子に座って手にした携帯電話を見ている。
iモードってやつ?
 
僕はエレベーターの中で一階へ下りていく数字を見上げる。
エレベーターって機械の音がするんだ。
まるで階ごとに継ぎ目があるように。
胸でしている音は僕の鼓動だ。
涼子さんが居なくなっていたらどうしよう。
そんな悪い予感がする。
 
つづく
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